自分の人生は、誰にも決めさせない。

2023年1月29日

私の毎日を本日よりこのブログに書きます。

まず私のこれまでの経歴を交えながら起業に至るまでの経緯を書きたいと思います。
私は沖縄県で6人家族の末っ子に生まれ
ワイワイした活気溢れる家庭で育ちました。

そんなある日、学生時代の私を変える出来事が生まれました。
4人兄弟ということもあり、母は自分を犠牲にして子育てに日々奮闘していました。私と1つ上の兄は高校が隣で、兄→私の順番で母が車で送ってくれていましたが、とある日の朝、兄が降りる際に「頑張ってねー!」というと、兄は無言でドンっとドアを閉めました。それを見た母は私に聞こえるか聞こえないかの小さく悲しそうな声で言いました。「一言くらい言ってくれてもいいのにね」と。私はその時に、「親も人間で、悲しいことは悲しい。子育てをしてもらうことは感謝しなければいけない」と気付きました。恥ずかしながらそれまで私は子育てをしてくれる親に対して、どこか当たり前のような感情を抱いていました。この出来事をきっかけに私は”当たり前のことなんてない。感謝を忘れない”、そして絶対に恩返しをすることを心に刻みました。

話は飛びますが、もう一つ学生時代に私を変えた出来事を話します。
私が通っていた学校は県内で一番の進学校で、親も医者や歯医者が多い学校でした。そのため医学系を目指す生徒が多く、早くから医学部を目指し勉学に励む人が多くいました。その中で私は、なんとなく医者は嫌だなと早くから思っていましたが、その後の進路を決定的にする出来事がありました。

当事者をAさんとすると、Aさんと私は小学校・塾も同じで、中高も同じでした。彼女の親はAさんを医者にしたいとの思いから非常に教育熱心で、そのこともありAさんは小学校・塾どちらもトップクラスに優秀でした。そんなAさんが不登校になってしまったのです。理由は重度のストレスとそこから来る拒食症。
Aさんと私が通っていた塾は毎期末にテストがありその中でトップ10は外からも分かるように掲示されていました。聞けばAさんの父親は毎回その張り紙を見に行き、1位じゃないとAさんを叱っていたそうです。また、「絶対医者になるんだ!」とも言われていたようです。中学に入ってからもAさんはトップクラスに優秀でしたがトップではなかったので親からもかなり言われていたみたいです。そのことがストレスとなりAさんは倒れてしまいました。

“誰にも自分の人生を決めさせない。全部自分の責任で自分で決断して自分の信じる道を歩もう”
私はその時決めました。親のエゴで子供が不幸せになるのなんてまっぴらごめんだ。医学部を目指す人のほとんどは「親が医者だから自分も医者になる」「親が医者になれと言っている」「いい学校に行っているのに、医者を目指さないのは勿体無い」から医者を目指す人が多くいましたし、先生たちも「医学部に行け。少なくとも薬学部か看護、とにかく理系がいいよ。」という風潮でした。確かに周りの人が言う道に進めば、将来の不安がなくなり安定した生活を送れるかもしれないですが、私にはそれが自由には感じられなかったのです。全ての人とは言いませんが、その考えで実際に医学系に行き、本当はその道に進みたくないと進学後にわかっていながら”6年も大学に通ったからしょうがなく”その道で就職する人も多くいました。
幸いにも私の両親は、どれだけお金をかけて育てても、それでどれだけ苦労しても、「自分で決めなさい」という人でした。後にも記載しますが、大学卒業後に大手ではなくスタートアップに就職する時も、私を信じ応援してくれました。ありがとう父さん、ありがとう母さん。

ただ、上京した私はいつしかそんな心も忘れ、大学では酒に溺れ、女に溺れ、典型的なクズ大学生でした。そんな生活を送り続けて大学3年生で就活を意識した時、ある人のスピーチが私を大きく変えます。それはDropboxの創業者のドリュー・ヒューストンのMIT卒業式でのスピーチでした。

”あなたの価値は、自分と一緒に過ごす人の5人の平均値で決まる”

https://www.youtube.com/watch?v=YWbNlMFzK40

この時雷に打たれたような感覚に陥り、あることを思い出しました。「俺は親に恩返しをするんじゃないのか?」と。私は次の日から同じ学科の人と遊ぶことをやめました。誘われても全て断りました。それまで意味もなく酒を飲み、酒で仲良くなれる人は誰でも遊んでいましたが、それが自分の価値を下げていると気付きました。その当時の友人たちには大変申し訳ないと今でも思っていますが、逆に今でも後悔はありません。その日から既に自分でビジネスを始めている先輩、ゼミで評価されている先輩とばかり話をするようになり、その後就職をする企業でも少ないながらインターンを始めました。明らかにそこから私の人生は好転していきました。
(他にも人生の教訓になることを発信されているのでぜひリンクからご覧ください!)

就活に話を移します。
当時の私の目標は1つで、それは20代のうちにお金を稼いで親に恩返しをすることでした。そのため、早くから経験を積めること、また経営層の近くで仕事ができることを軸にスタートアップに絞り就活をしました。ただ、1つ大きな問題がありました。それは、スタートアップは新卒をとっていないのです。教育が必要な新卒なんてとるわけないですよね。だけど諦めたくなかった私は、「採用コストさえなければなんとかなるのではないか?」と考えスタートアップの求人募集をとにかく探し、そこで1つだけ魅力的な会社を見つけました。すぐにホームページに移動し、中途採用フォームから「新卒ですが、入社したいです!話だけでもさせてください!」そう連絡しました。するとなんとOKが出て結果的に内定をいただきました。その経験から“行動しないと何も生まれない”ことを学びました。

その会社では社長含め経営層が非常にフランクで、特に仕事に対する姿勢・考え方を指導していただきました。これは今でも私の強みでもあると思います。直属の上司にも恵まれて、たくさん評価していただきました。ただ、私の目標は早くに親に恩返しをすることでした。そのため、もっと早くレベルアップしたく、戦略コンサルファームに転職することを決めました。その際、社長は「経営者としては失格だけど、人としてその決断は尊重するし、応援しているよ」と言っていただきました。そんな寛大な心を持ち、人としても尊敬のできる社長に出会えたことが何よりもこの会社に入ってよかったことです。

ただ、そこから私の人生は急降下を迎えます。

転職先では最初こそ前職で培ったマインドをもとに評価され、大きな社内会議で社長から褒めていただくこともありました。しかしレベルの高さ、コミュニケーション、さまざまな問題で次第に私はパンクしました。とあるプロジェクトに入ったことが決定打となり、私は完全に崩壊します。プロジェクト開始後に、社長からの指摘で上位層が作成した契約済みの提案書に大きな問題があることが発覚しました。また、提案書を見た私はワークロードに大きな影響が出るポイントについてそれを固めてほしいと上位層に依頼しました。簡単に言うと上位職に大きなミスがありました。しかしそれは通らず、そのミスの対応含め結果的にそのプロジェクトは人が死ぬレベルの残業をしていました。(具体的な数字は伏せますが毎日2-3時間睡眠で土日も働いてました。)そんな中頭は働かず、毎日睡魔との戦いで、スケジュール調整に15分もかかるまで疲労していました。前職で培ったマインドさえ発揮することができなくなり、結果的に心身ともに疲労し切った私は適応障害でそのプロジェクトを飛びました。
もちろん私自身のレベルが高ければ乗り越えられたかもしれません。自分でも他責になっていることはわかっていても1つだけ思っていたことがありました。それは「自分達のミスでごめんね」と言って欲しかったのです。それどころか「お前は何も考えてない。なんの価値があるんだ?お前が何もしていないから遅れている」とまで言われ、「どこで道を間違えたのか?」「もう自分は終わりだ」「自分は価値がない仕事ができない人間だ」「死んだら楽になるかな」そんなことを考えるまでになりました。休職した私は、一度は他の部署で働くことを考えましたが、私は退職を決意します。
(その中でも転職という行動を起こしたことでたくさんの重要な学びを得たので、全く後悔はしていません。むしろ転職してよかったと思っています)

私は”信頼が一番重要で、信頼は構築に時間がかかるが崩壊は一瞬”と前職で教わっていたため嘘はつかないと心に決めていましたが、再転職活動中の私は、休職というネガティブなイメージを避けるために多少の嘘をついての転職活動を行なっていました。当然自分の本心ではないためどんどん気持ちは沈み、何もしない堕落な生活を送り、死を現実的に考え始めました。

そんなある日、Twitterでとある2つの本に出会いました。それはビジョナル南壮一郎さんとCyberAgent藤田晋さんの本でした。将来起業したいと思っていた私はなんとなくこれらの本を読みました。そこには、起業してからの話を生々しく書いてあったのです。そしてその後の”成功”を。私はこの本を見てある1つの思いを思い出しました。それは学生時代に思った”誰にも自分の人生を決めさせない。全部自分の責任で自分で決断して自分の信じる道を歩もう”す。

誰かのせいにして、人生どん底のまま終わってたまるか。俺の人生は俺が決めるんだよ。

私は本日起業を決意しました。どん底に落ちるかもしれない。そして誰かに一生笑われるかもしれない。それでもいい。死ぬほどやり切ってみせる。どうせ死ぬんだから。もう二度と逃げない。
“あなたの会社があってよかった”と思われる会社を作る。何がなんでも、誰も協力してくれなくても俺はやる。俺は俺の生き方を、信念を貫く。

長々とここまで読んでいただきありがとうございます。明日からは毎日の出来事をお伝えできればと思います。

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